宮城音弥の続き。今月の『思想』で『思想の科学』を取り上げているのですが、なんと宮城も『思想の科学』に関わっていて、ちらちら出てくるところが、そのあたりに疎かった私には興味深かったです。そのほかにも、

従来、教授陣を新しくするときには、たいてい東大に頼みに行くのが普通だった。東大では若い助手あたりを推薦して、少したって、東大に空きができると彼を東大に引っ張ってゆくといった方法を用いていた。それでなければ、相当の年齢になっていて、教授より年上だというようなときに、その二流、三流の人物を推薦した。あたかも、この大学なら、このくらいの人間でよかろうといった調子であった。学長をはじめ・・・スタッフはこのような東大人事の中に巻き込まれることを避けて、優秀な人間はとこからでも連れてくるという方針を採った。

などは、他大学が賢明であれば就職できない東大助手(助教)がでてくるということですね。東大も実力のある人をよそから引っ張ってくるように思うけど。そのほか、鶴見俊輔を京大から引っ張ってきた話とか、チャタレイ裁判や帝銀事件の鑑定とか、あるいは、


フランスには、高級な学術週刊誌があって、新しいアイデアを考えると、すぐに、これに発表する。これによって、これは自分が言い出したことだというプライオリティをとる。ドイツの大学では、このフランスの週刊誌が来るのを待っていて、(日本の大学で外国の雑誌を待っているように)、「これは面白い」と思うと、これをもとにして「本質と概念」からはじまる、がっちりした体系的な論文を書く。これを学問的といい、これを発表するのが学者なのである。これは東工大名誉教授の植村琢先生が、かつて指摘されたことであった。日本では、フランスのようなやり方を「何だ、思いつきか」というが、その傾向は特にドイツ流のプロフェッサーに多い。だが、学者ぶらずにアイデアを速やかに発表するのが、何よりも学問的なことではないのか。


とかいった指摘が面白いと思いませんか? 試験のほかにレポートや論文も出させる講義・・・は関係ないはずですけどね、多分。