昨日の買い物の一つ。2007年秋の岩波文庫重版で。

福沢諭吉教育論集 (岩波文庫)

福沢諭吉教育論集 (岩波文庫)

 方今、世に教育論者あり。その言にいわく、近来我が国の子弟はその品行ようやく軽薄におもむき、父兄の言を用いず、長老の警をかえりみず、はなはだしきは弱冠の身をもって国家の政治を談じ、ややもすれば上を犯すの気風あるが如し。畢竟、学校の教育不完全にして徳育を忘れたるの罪なりとて、専ら道徳の旨を奨励するその方便として、周公孔子の道を説き、漢土聖人の教えをもって徳育の根本に立てて、一切の人事を制御せんとするものの如し。
 

 我が輩は論者の言を聞き、その憂うるところははなはだもっともなりと思えども、この憂いを救うの方便にいたりては豪も感服すること能わざる者なり。そもそも論者の憂うるところを概言すれば、今の子弟は上を敬せずして不遜なり、濫りに政治を談じて軽躁なりというにすぎず。論者の言、はなはだ是なり。我が輩とてももとより同憂なりといえども、少年輩がかくまでも不遜軽躁に変じたるは、たんに学校教育の欠点のみによりて然るものか。もしも果して然るものとするときは、この欠点は何によりて生じたるものか、その原因を推究すること緊要なり。


 教育の欠点といえば、教師の不徳と教書の不経(道理に合わぬ)なることならん。然るにわが日本において、開闢以来稀なる不徳の教師を輩出して、稀なる不経の書を流行せしめたるは何ものなるぞや。あるいは前年、文部省より定めたる学制によりて然るものなりといわんか、然らばすなわち文部省をしてかかる学制を定めしめたるは何ものなるぞや。これを推究せざるべからず。我が輩の所見においては、これを文部省の学制に求めず、また教師の不徳、教書の不経をも咎めず。これらは皆、ことの近因として、さらにこの近因を生じたる根本の大原因に遡るにあら座れば、事の得失を断ずるに足らざるを信ずるものなり。けだしその原因とは何ぞや。わが開国に次いで政府の革命、すなわちこれなり。


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 されば今の世の教育論者が、今のこの不遜軽躁なる世態に感動してこれを憂うるははなはだ善し。またこれに驚くも至当のことなれども、論者はこれを憂い、これに驚きて、これを古に復せんと欲するか。すなわち元禄年間の士人と見を同じゅうして、元禄の忠孝世界に復古せんと欲するか。論者が、しきりに近世の著書・新聞紙等の説をいとうて、もっぱら唐虞三代の古典を勧むるは、はたしてこの古典の力をもって今の新説を抹殺するに足るべしと信ずるか。しかのみならず論者が、今の世態の、一時、己が意に適せずして局部に不便利なるを発見し、その罪をひとり学校の教育に帰して喋喋するは、はたしてその教育をもって世態を挽回するに足るべしと信ずるか。我が輩はその方略に感服する能わざるものなり。


 そもそも明治年間は元禄に異なり。その異なるは教育法の異なるにあらず、公議輿論の異なるものにして、もしも教育法に異なるものあらば、これをして異ならしめたものは、公議輿論なりといわざるをえず。而して明治年間の公議輿論は何によりて生じたるものなりやと尋ぬれば、三十年前、我が開国と、ついで政府の革命、これなりと答えざるをえず。開国革命、もって今の公議輿論を生じて、人心は改進の一方向に向かい、その進行の際に弊風もまた、ともに生じて、徳教の薄きを見ることなきに非ざるも、法律これを許し、習慣これを咎めず。


 はなはだしきは道徳教育論に喋喋するその本人が、往々改進の風潮に乗じて、利を射り、名を貪り、侵すべからざるの不品行を犯し、忍ぶべからざるの刻薄を忍び、古代の縄墨(軌範)をもって糾すときは、父子君臣、夫婦長幼の大倫も、あるいは明を失して危うきが如くなるも、なおかつ一世を瞞着して得々横行すべきほどの、この有力なる開進風潮の中にいながら、学校教育の一局部を変革して、もって現在の世態を左右せんと欲するが如きは、肥料の一品を加減して草木の生成を自在にせんとする者に異ならず。


明治時代・・・。