シモーヌ・ヴェイユの続き。


1934年の段階で、しかも神を問い続けた人という印象の強い彼女が、自然エネルギーについて考察していることにちょっと、驚く。

より少ない努力でより多くを生産するために、人間に示される第一の手順は、自然に由来するエネルギーの活用である。


に始まる考察をたどっていくと、「持続的進歩の観念」という表現にすら行き着く。人間って進歩しないものだなぁ。


しかしながら、ひょっとすると関連するか?と思わせることを、ヴェイユとは全く関係のないところで、超英文学を標榜する高山宏大先生が示唆されていた。


ネットワーキングをめぐるアプローチ、そして魔術へのまともな評価が、どうしようもなく哲学という規制の枠組みを超えてしまっているからだ。それを1936年という早い時期に、ヒトラーの政権奪取の差し迫った状況を背景に書き上げられたのが、ラヴジョイの『存在の大いなる連鎖』である。あらゆるものは一本の鎖でつながっている。アリ1匹殺すことが生態系全体にどういう影響を及ぼすかというエコ発想の歴史をヒトラーと同時代に展開していたという点に、永遠の価値がある。


もしかして、ラヴジョイはシモーヌ・ヴェイユを読んでエコ発想のヒントを得たのか知らん。どなたか、このほうの専門家に伺ってみたい。