障碍の児のこころ―関係性のなかでの育ち

障碍の児のこころ―関係性のなかでの育ち

・・・先日も、私立高校の普通科を卒業した軽度知的障碍の人で、いくつかのアルバイトをしたのち、作業所での就労にはじめて行ったところ、養護学校でちゃんと訓練を受けていないから態度が悪い、指示に従ってやっていればいいのだと、くり返し叱られたとこぼしていました。
 もちろん仕事ですから、指示に従う必要があるのはわかります。ただ、もしも相手が従ってくれないのだとしたら、自分の出す指示の仕方や言い方がまずいのではないかとか、何かがうまくいっていないからそういうことが起こるのではないかとかいうように、関係性のなかで考えたり、自分の方を修正してゆくという発想がなく、知的障碍があるからというだけの理由で、すべての責任が知的障碍のある人に負わされてしまう、ということが起こりがちです。


一歩ひいたところで反芻してみるというのは、他のシチュエーションでも大切かと思います。その場に居合わせないので真相を知りもしないのに、一方の言葉だけ真に受けて相手方のことを非があると思い込んだり、あまつさえ真相を確認しないまま批判までしてしまったり。人間は自分が正義だと思い込みがちであるように思いますので、常に自戒したいところです。

対話とか、関係性とか・・・土俵が異なる方が、対話が成立するのかもしれない。


とはいえ、対話困難は、やはり人種民族か。


ミャンマーには少なくとも135もの少数民族がいて、何百年もの間、抗争を繰り返してきたとのこと。