昨日の朝日か日経か忘れましたが、日曜版特有の書評で、「システムを作り上げたが、人の心理を理解できない」市場原理主義ホリエモンの深い孤独、なるものの説明がありました。


物と物との関係と見えるところの現象を、それは実は人と人との関係であるというふうに絶えず翻訳していくというマルクス独自の認識方法を・・・すべて切り捨ててしまって、物にはじまり物に終わる形に組みかえるとしますと、仮に成功したとしましても、それはその限りで古典派経済学への逆戻りになるほかはないでしょう。マルクスが「経済学批判」――経済学ではなく――という副題を『資本論』にもつけているのは、まさしくその違いを意識してのことだと私は考えております。つまり、阻害現象のなかを動き回っているだけの経済学を批判して、経済の主体が穂間ならぬ人間であることを明らかにするのが自分の意図なのだ、そうした意味が「経済学批判」という表題にこめられているのではないかと思うのです。


今日ではマルクス大塚久雄も読まれないでしょうが、また私はマルキストでもありませんが、ブログと違って原稿料を取って書く以上は、このあたりぐらいまでは意識したうえで、今日的にもっと掘り下げた解説を書いてほしいものですね。