官僚叩き

先々週だったかの日経に掲載された某教授の論考を始め、打倒官僚!的な発言が、最近良く目に入ります。


今日もたとえば、
http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008091801000788.html


それで思い出すのは、季刊SIGHT2008Summer特集「中国の本当とは?   対談 毛利和子 × 藤原帰一」。毛利氏は、中国研究の第一人者です。

毛利:・・・どんな組織も「お上」の許可なしには動けないというのが根本にある問題です。


が、全体のキーになっているのですが、


毛利:・・・ですから中国の外交を、外交分野に限って議論し、評価しようとすると、彼らは外交のプロであり、また、芸術としての外交」を展開しているなあ、と思えてきます。20世紀末から21世紀初頭にかけたこの10年間、中国は国際社会へのソフトランディングを結構見事にやりました。見事な、外交としての手腕は大したもんだと思いますね。
――それは優秀な役人が育ってきているという?
毛利:そうです。
藤原:役人の国家ですもん。
毛利:それはね、非常に有能ですし、そもそも外交に情熱を注ぎ、またうまいですよ。これが立派な商売だっていうのを、彼らはちゃんと知っているんです。外交や国際関係の学界に優秀な人材が集まりますしね。・・・


というのを読みますと、ザ官僚、ザ役人というのは、正しくは、色々な意味でこういうレベルの人達を指すのではないかと思えてきます(ミニマムアクセスとして無条件に押し付けることの出来る米は、カビ米であろうと古米であろうと、こちらで判断する米で良いのである、なんてったって鼠を取る猫は良い猫である、という理屈を通したのかどうかは知りません。まあ、農薬のついた米はダメ、という条項はその時なかったし、こちら側も確認を詰めなかったのだから、向こうが一枚上手だった)。 その点、年金であれ食品であれ窓口で不正処理の指導をしたとか、殆ど使わない高級カラオケセットを公費で買ったとかいわれる「40〜50代の課長」達は、むしろ○○党や△△党の支持母体の××労などの人達なのではないかという気がしないでもないですけど・・・。役所には、上級職に口出しさせない縄貼りっていうものが無いのかどうか、一度誰かに聞いてみたい。来年の国一を受ける人達、めげないで下さいね。小さい国家であろうと福祉国家であろうと、特に国際社会で対等に渡りあっていく外交と内政の連係プレーのできる一定量の優秀な人材は不可欠のはず。